田中幸一の「徒然草」
No.2
田中幸一の政治に対する思いをつれづれなるままに綴ってみました。
私は50歳で26年間勤めた民間会社を退職しました。
その当時リストラというものが流行して、私の会社も早期退職者優遇制度が設けられ、
50歳以上の社員に希望退職者を募りました。体のいい首切りです。
私は課長職にありましたが一番先に手を上げました。
退職する7年ほど前、「地球を救う大変革」(比嘉照夫著)を読んで大変感動しました。
いつか自分も無農薬、無化学肥料の有機農法をしてみたいと思っていました。
退職金も割り増しで貰えると言うことで、思い切って辞めました。
その当時、毎日毎日数字に追われる営業職に少々疲れてもいました。
80歳を過ぎた父が2反ほど柿を作っていたので私も柿作りを始めました。
退職当時、近辺に耕作放棄した柿畑が何箇所もありました。
伐るなり焼くなり草だけ刈ってもらえばどうしても良いと言うことで、数箇所請けました。
剪定の勉強を一生懸命しました。柿作りを初めて3年目頃には1町2反ほど耕作していました。
組織のしがらみからはずれ、営業のノルマからはずれ、農業の喜び、ものを作る喜びを十分感じました。
有機農法も試してみましたが、今は減農薬、有機肥料の段階です。でも除草剤だけは一度も使いません。
平成12年、中山間地域等直接支払制度が始まりました。恵蘇宿区も65名が集落協定を結びこの事業に取り組みました。
私も役員になり会計を担当しました。年間400万ほどの交付金がきました。半分を個人分配し、半分を共同事業に使いました。
四年間毎年一箇所、計四箇所、給水場を建設しました。病害虫防除と粗皮はぎのための給水場です。
ボーリングして、高さ2mほどの鉄骨の上に10屯タンクを載せ、常時満タンにして上から落とす方法で給水します。
速くて水もきれいです。毎年4月、JA筑前あさくら柿部会総会があります。
キロ単価あたりの成績発表がありますが、いつも恵蘇宿班がトップです。四箇所の給水場のおかげです。
私はこのタンクに字を書かせてもらいました。皆さんに褒められて大変嬉しく思います。私は柿作りが大好きです。
りっぱな大きな柿がなったときの喜びは最高です。一生やめられません。今、後継者がなく、荒廃園が年々増加しています。
若い人が柿作りを、柿栽培で生活できるようになんとかしなければと思うばかりです。
田中幸一 連絡先
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